久米島県道の歴史

現在、久米島に沖縄県道が4路線あります。(2012年)

4本の県道の歴史について述べますが、

その前に理解を深めるために

沖縄県の県道の特徴について先に述べます。


沖縄県の県道は
アメリカ統治時代の軍道(久米島には軍道はありませんでした)および、琉球政府道が元になっており、路線番号は軍道や琉球政府道のときの路線番号がほぼそのまま使われています。(離島は路線名のみだったため、路線番号は復帰後につけられた)。

本土の都道府県道とは異なり、
主要地方道と一般県道の路線番号での区別がなされておらず、沖縄本島では路線番号がそのまま路線名となっている県道もあります。(復帰時に引き継いだ一般県道のみ)。

21世紀に入ってから、国管理の直轄国道(指定区間)に続いて、沖縄県管理の補助国道(指定区間外)とあわせて、起点や終点、国道や県道など幹線道路と交わる交差点などで案内標識とは別に距離や地点などを記した道路元標が設置されています。


久米島県道の歴史

1952年(昭和27年)
・4月1日 琉球政府成立
・9月29日 道路法(旧法) 即日施行

1953年(昭和28年)
・9月28日 琉球政府道が認定される
 (沖縄群島72路線、宮古群島16路線、八重山群島9路線、奄美群島25路線)
 ▽認定一覧表をみる
   http://explorer.road.jp/ryukyu/ryukyu1953.html

その1路線として「久米島一周線」が認定される。
久米島県道の歴史

 この久米島一周線は、起点を鳥島港、終点を鳥島とし、具志川村仲泊~仲里村比嘉~宇根~宇江城~具志川村仲泊を経由していた。

1953年12月25日 奄美群島が日本に復帰する

その後
・仲泊 - 久米島空港が「久米島飛行場線」、
・宇根 - 真泊港が「真泊港線」
としてそれぞれ琉球政府道に認定される。
久米島県道の歴史

1964年(昭和39年)
「兼城港線」が琉球政府道として認定。

久米島県道の歴史


1972年(昭和47年)
1972年5月15日 本土復帰
本土復帰と同時に同じ路線名のまま県道となる。
路線番号は
 「久米島一周線」が173
 「久米島飛行場線」が174
 「兼城港線」が175
 「真泊港線」が176
となる。


1978年7月30日
自動車交通をアメリカと同じ右側から日本本土と同じ左側に切り替える。


1993年(平成5年)
 「沖縄県道173号久米島一周線」の仲泊~宇根の区間と、
 「沖縄県道174号久米島飛行場線」の全線と
 「沖縄県道176号真泊港線」の全線が
  「沖縄県道89号久米島空港真泊線」して主要地方道に昇格した。
久米島県道の歴史
名称が
 久米島飛行場から久米島空港 
 真泊港から真泊
へ変更された。


1993年(平成5年)

「沖縄県道173号久米島一周線」の残る、北回りの宇根~仲泊を結ぶ宇江城経由の区間が、「沖縄県道242号線宇根仲泊線」となる。

久米島県道の歴史

同時に3路線が廃止された
 「沖縄県道173号久米島一周線」、
 「沖縄県道174号久米島飛行場線」
 「沖縄県道176号真泊港線」
  現在も県道、173、174、176号は欠番です。


1995年(平成7年)
「沖縄県道245号久米島一周線」を新規に指定。
同じ名称「久米島一周」を使用しているので混同しやすいが、県道173号久米島一周線とは全く異なる。


久米島県道の歴史

今もまだ「沖縄県道245号久米島一周線」は周知に認知されているとはいえません。久米島一周線という場合は(旧)を示すことが多いように思われます。



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