真泊空襲1945 

真泊に纏わる史実

1945 昭和20年3月27日
太平洋戦争末期
米軍空襲により真泊は被災大火災となった



空襲とは
空襲(空爆)とは、戦争において、飛行機を用いて攻撃することである。軍事施設や民間施設が目標となるが、第二次世界大戦末期にアメリカ軍が日本の各都市に対して行ったような(日本本土空襲)、無差別爆撃の例もある。 攻撃手段としては、航空機からの爆弾投下(爆撃)、機銃掃射などがある。


十十空襲(那覇空襲)
1944年(昭和19年)10月10日に、南西諸島の広い範囲でアメリカ海軍機動部隊が行った大規模な空襲。日本軍艦船などに甚大な損害を与えるとともに、那覇市の市街地の大半が焼失するなど民間人にも大きな被害が出た。十十空襲以前は沖縄周辺では大規模な空襲は行われていない。


久米島初の空襲
1945年(昭和19年)1月22日。兼城港に停泊中の船団が、爆撃、機銃掃射により8隻炎上沈没した。久米島は南方への軍需物資、食料、兵隊や軍夫、従軍慰安婦運ぶための船団の寄港地となっており、空襲は海上輸送寸断を目的とし、軍用船のみであった。


全島へ空襲拡大
1945年3月1日 鳥島、仲泊に爆弾が投下され21軒が全焼した。この後、軍用船以外の陸上へ空襲が行われるようになる。


東京大空襲
アメリカ軍により東京への焼夷弾を用いた大規模爆撃の総称。
東京は、1944年11月14日以降に106回の空襲を受けたが、特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模であった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲を指すことが多い。都市部が標的となったため、民間人に大きな被害を与えた。


久米島空襲激化
3月、4月、5月と学校、監視硝などの施設のみならず、民家、畑などへの爆撃、機銃掃射により火災、死亡被害を蒙る。


真泊空襲
1945年(昭和20年)3月27日午前8時55分より、終日絶え間なく空襲が続き全島が猛爆された。
真謝、宇根、謝名堂、奥武島が空襲される。宇根、銭田、真泊方面に大火災。


久米島空襲の終焉
5月下旬より6月上旬にかけて、哨戒機の旋回は続いたが空襲は断続的となった。
6月10日に機銃射撃があり、空襲は止んだ。久米島空襲は1月22日以来、実に半年近くに及んだ。


日本本土への空襲
1945年8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災し、死者は33万人、負傷者は43万人、被災人口は970万人に及んだ。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失しており、一説には空襲により9割以上が焼失したとも言われている。



参考引用
久米島の戦争 2010年9月2日発行 久米島の戦争を記録する会著
ウイキペディア



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Posted by CharlesKaf at 2025年04月16日 21:42
 
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